バンド名:Hi-STANDARD(ハイスタンダード)
日本を代表するメロコアパンクバンド「Hi-STANDARD」
2017年リリースの「The Gift」が大ヒット中の彼らの歴史を、今一度まとめてみたいと思います。
第2章は、AIR JAM2000以降活動を停止してしまったハイスタに、その後何があったのか?再結成に至るまでの道のりは?というところを時系列的に、管理人の主観も交えながら追っていきたいと思います。
活動休止から復活の狼煙(2003~2010)
2003年(平成15年)
2月12日:Ba.の難波章浩氏に長男誕生。沖縄に移住したのもこの頃か。
11月26日:Gu.の横山健氏のブログ「横山健の別に危なくないコラム vol.19」にて、2000年のAIR JAM2000の後、Vo.Ba.の難波章浩氏が脱退した事を発表。あわせて、Hi-STANDARDは活動休止中であり、解散はしていない事も明言。
2004年(平成16年)
2月18日:横山健氏が「Ken Yokoyma」としてソロアルバム「The Cost Of My Freedom」をリリース。バックバンドとして「KEN BAND」と名付けられたバンドとともにソロ活動を開始。
12月11日:スペースシャワーTV15周年記念として「AIR JAM2000」が編集され放映。それにあわせて、メンバー3人が揃ってコメントをした様子が放映。
横山氏はブログで、難波氏の復帰と、再始動を匂わせるような発言をするが、それっきりとなる。
世の中はメロコア不遇の時代。青春パンクやV系、自称ミクスチャーなラップを取り入れたバンドが幅を利かせていた。
2005年(平成17年)
8月24日:難波章浩氏がソロ活動として、「TYÜNK」「なんばあきひろ&宇宙船地球号」名義でシングルを同時リリース。
ハイスタのサウンドとは似ても似つかないその音作りに賛否両論あったが、元メロコアキッズ達は皆落胆したと記憶している。
9月9日:横山健氏に長男誕生。
2006年(平成18年)
2月22日:難波章浩氏が「ULTRA BRAiN」というユニットでシングル「Ghost Busterz」をリリース。
アニメや映画の主題歌になったようで、カウントダウンTV等で、TOP100までやると、後ろの方にランクインしていたのを記憶している。
「NEO PUNK」を自称したこのユニットは、意外と評価が高く、海外にも活動の場を広げた。
2007年(平成19年)
5月3日:「ULTRA BRAiN」で活動していた難波章浩氏が自身のブログ上にて、「警告」という文章を掲載。
警告!PIZZA OF DEATH RECORDSよ!このまま原盤権を3等分する意思が無いのなら、アルバム『MAKING THE ROAD』は廃盤にするべきだ!Hi-STANDARDは君達のものではない。これは単なる金の話ではなく、作品に込めた魂の話だ!!
http://www.ultrabrain.tv/tyunblog/より(現在は消滅)
当時のネットニュースを駆け巡ったこの事件は、元キッズや音楽ファン達に衝撃を与えた。
また元キッズ達の間ではメンバーについて何の根拠も無い、ここでは詳細を書くのがはばかられるような、精神疾患や薬物使用のウワサが立ち込める事態となっていた。
これらウワサの出どころとして考えられるのは、当時難波氏でも恒岡氏でもなく、横山健氏が活動休止後に精神疾患(症状から鬱病と考えられる)を患っていたようで、後年本人がtwitter上でそれを公言している。その辺りから話に尾ひれがついて様々ないい加減な憶測を生んだようだ。
(更に続き)活動停止したのもいろんな理由がある。オレが精神疾患を患ったのが大きな理由だけど、それだけじゃなかったんだと思う。そんで活動停止中にメンバーの心は離れ離れになって、幸か不幸か、オレはのめり込める事を見つけてしまったってわけです。
— 横山健 (@KenYokoyama) 2009年12月30日
この頃、難波章浩氏がmixi上にて、横山氏の「ハイスタをやるためのリハビリ」という発言を信じていたが、裏切られたと感じ「もう横山氏に会うつもりはない」と連絡した事を明かした。
2008年(平成20年)
1月13日:Ken Yokoyamaが日本武道館でライブ。13000人を動員する。
6月:Dr.の恒岡章氏と難波章浩氏が沖縄でレコーディングをしたとブログに記載。
2009年(平成21年)
6月15日:横山健氏に次男誕生。
12月:2010年3月に難波章浩氏のソロアルバムのリリースが発表され、同時にプロモーションが開始。プロモーション内容に、横山健氏、恒岡章氏が楽曲に参加したとの情報があり。ネットニュースがこぞって取り上げる。
2010年(平成22年)
1月13日:難波章浩氏が、大物お笑いタレント「明石家さんま」氏と、元妻で大物女優の「大竹 しのぶ」氏の娘であり、タレント、歌手として活動する「IMALU」氏の歌手デビューシングル「Mashed potato」をプロデュース。同曲の作曲も手掛ける。
3月3日:難波章浩氏が、「難波章浩-AKIHIRO NAMBA-」名義で横山健氏、恒岡章氏も参加したアルバム「THE WORLD iS YOURS !」をリリースする。
プロモーションも兼ねたのか、この時期ネット上への露出が増えたように思う。発言内容がどれも前向きであり、何かメンバー間の関係に雪解けがあったのだろう事を示唆していた。
YouTubeで先行的に公開されたPV「JUMP!JUMP!!JUMP!!!」。この曲のギターは横山健氏が演奏している。
6月27日:難波章浩氏が自身のツイッターでハイスタ再結成を匂わせるような発言をする。
A: 現在サポートドラムを恒岡章ではなく佐藤ヒロシにお願いしている件。「難波と演るの、ハイスタの3人でやる時にしたい」と恒岡から提案された為。「間違いない」とすぐに許諾。その後しばらく途方に暮れたが、ヒロシと再会し一緒に昇ってここまできた。ヒロシは大のテクノ好きでもある♪
— 難波 章浩 (@AKIHIRONAMBA) 2010年6月28日
7月:難波章浩氏が大手レコード会社「avex」と専属契約を結ぶ。
7月23日:twitter上で難波章浩氏が2007年当時の心境を吐露。活動停止時はメンバー全員が滅茶苦茶だったらしく、その中でハイスタ活動休止を自分だけのせいにされ死のうとも思った、と発言。また、2007年の「警告」文章について、死を覚悟してとった行動であったが、自身がガキだった、と回想した。しかしそれを発信できた事で、次にも進めたとの事。ソロ活動時、精神的に不調を来していた事も告白した。
そんなの当時にやっときゃいいじゃん、って言われんのも解るんだけど、正味オレも含めてみんなしてメチャクチャでね。横山の体調が悪かったからそんな話したくなくってね。沖縄行って落ち着いたらって思ってたんだけど..。であの問題になった「警告」ってね。今思うと、、
— 難波 章浩 (@AKIHIRONAMBA) 2010年7月23日
完全にガキだね、オレが。でもハイスタの活動休止の理由が、オレだけのせいにされたのがタマラなくてっねー。死んじゃおうとかおもったし。人生で初めて。死ぬ前にってとった行動があれね。でもそれから自分の中で発信できた事で、生きる目標が生まれたんだね。
— 難波 章浩 (@AKIHIRONAMBA) 2010年7月23日
何そんな事してんだよ!って何回もdisられたよ。そっからはdisされっぱなしの人生さ。これは人生みたねー。栄光から転落ってこれかってね。でも理由が見つからないの、人々に嫌われる。それで精神おかしくなってね、でも絶対病院に行かなかったけど。沖縄そばバッカ食ってた。
— 難波 章浩 (@AKIHIRONAMBA) 2010年7月23日
7月30日:フジロックフェスティバル2010 1日目、グリーンステージに参加した「Ken Yokoyama」がHi-STANDARDの「STAY GOLD」を演奏。
8月1日:フジロックフェスティバル2010 3日目、ホワイトステージに参加した「難波章浩-AKIHIRO NAMBA-」がHi-STANDARDの「STAY GOLD」を演奏。ネット上がざわつく。
↓その頃のネット世論がわかる、2010年8月4日の、当時全盛だったSNS「mixi」の書き込み
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1851&id=55298550
12月:難波章浩氏のソロ名義での2ndアルバムリリースが発表される。何と「パンクロック解禁!」と銘打たれ、ネットニュースで話題となった。
前作もハイスタのメンバーが参加し、音は意外とパンクっぽい箇所が感じられたため、そういう流れの曲なのか、と管理人は勝手に感じていた。ところがその音源に収録された難波章浩氏のサウンドは、まるであの頃の...
そして運命の2011年へと続きます...
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